やっさんです。
私の苦手なものは、服の締めつけです。
痩せている時はウエストはあまり気にならないのに、少し油断して甘いものを食べたりした時は、お腹がむくんでウエストがきつくなる。
ゴムの伸びるものだとしても、だいたいはジーンズだったり、スキニーのものだったりします。
これらのボトムってもう10年くらい同じのを着てるんですよね。
出産も経験しているから、サイズアップが妥当なのは分かってます笑
ただサイズの問題だけなのか?と疑問に思ったので、少し幼少期の頃の記憶を掘り起こしました。
そして分かったのが、幼少期の抑圧された気持ちからきているイライラでした。
子供の頃はだいたいお下がり
私は4人兄弟の3番目でして、まあお下がりが常でした。
それプラス、裕福ではなかったので従姉妹からのお下がりが日常。
自分の着たいもの、自分が心地よいもの、自分のサイズに合ってるものを選ばせてもらえる経験が圧倒的に少なかったです。
子供の頃のそういった抑圧された我慢みたいなものが、締め付けのある洋服を着たときに湧き上がるんじゃないかと思いました。
親自身も服を我慢して着ていた
覚えている親の姿は、サイズのきついジーンズをボタンやチャックを全開にしてまで着ていたことです。
子供の頃って親の姿が子供のロールモデルになりますよね?
そこで私は覚えてしまったんでしょう。
服は我慢して着るものなんだと。
大人になった今でも、着ていて楽、落ち着くという感覚で洋服を選んだことはありません。
むしろ幼い頃のお下がりの経験から、自分には服を買う価値すらないという思い込みもあります。
服を選ぶ時の基準はだいたい、他人にどう見られるか。
自分がこの服を着てどんな気分になれるかとか、着ていて安心するとかはないんですよね全く。
この触れていて快か不快かの基準って、ネグレクト育ちにはあまり育ってないんだなと改めて気づきました。
少し前の私は、生乾き臭がしていてもそのまま着ていたり、ティシャツがヨレヨレになっても平気で着ていました。
不快になったら買い替えるという思考がないんですよね。
気づけたことでクローゼットを見直してみようと思えた
少し前にこんまりさんのメソッドの本を読んでみて、やってみたいと思っていたんですね。
その中では、衣類から先に手をつけるみたいな話があったんです。
衣類に触れてみて、ときめくかどうかという基準で選んでいくらしいですが、その“ときめく”がいまいち分からない。
ネグレクト育ちって感情を抑圧されて生きてきたから、急にそういうことが出てくると戸惑いました。
そこからは何も手につけずに、こんまりメソッドのことは遥か彼方へ押しやられていたのですが。
ですが洋服のこの着た時の、快か不快か、何時間も着ていてなんの違和感もないか、というのが一つの目安になるんじゃないかと気づいたので、もう一度ワードローブの見直しをしていきたいなと思いました。
この記事をここまで読んでくださっている方は、服の締めつけが気になってしまうからこの記事に辿りついたかと思います。
ちょっと食べすぎてたらウエストがキツくなった。
あるあるだと思います。
でもなぜだかイライラしてしまう。
それは幼少期の抑圧された自分もいるとは思う。
だけど他にも、“少し太ってしまった自分”が認められないからというのもあるのかなと思いました。
なので私は最近は、洋服に自分を合わせるのではなくて、自分に合わせる洋服を基準に選んだら良いのかと考えるようになりました。
ウエストをゴムのものにしてみる。
シルエットがゆるいものにしてみる。
サイズが合わなくなって着れなくなったのは自分の体型のせいではなくて、その洋服がもう私に必要がないからご縁がなくなったからと思うことにしてみる。
そんな風に考えられたらいいかなと思いました。