この記事では私が適応障害になった体験談を、同じ状況にいる方に向けて少しでも役に立てればと書いてみました。
ほとんど自分語りですが、適応障害ってこんな感じなんだとか少しでも参考になってもらえば幸いです。
目次
そもそも適応障害って?
ある特定のストレスが原因となって、不眠や動悸などの身体症状、涙もろくなるなどの気分の落ち込みなどの精神症状がでてきてしまう病気です。
ほとんどの場合はストレス因から離れると6ヶ月以内に症状がなくなると言われています。
適応障害になった要因ってなんだろう?
新しい環境に慣れることができなかった
今振り返ると、育児と仕事の両立の狭間で特に仕事に対するストレスが原因でした。
育休明けてから産前に働いていた部署とは違うところへ異動してからのスタートで、人間関係も一新されてもともと人見知りの気質があった私はあまり馴染めずにいました。
一から新しく覚えていかなければならない仕事。
工場勤務だったので基本的な内容は検品作業だったのですが、目がなかなか慣れずに不良品を見逃してしまったり、後工程の人から不良品がこんなに出たよと言われたこともあります。
それがもろプレッシャーだったんですよね。完璧主義な私はどんどん自分を追い込んでいきました。
通勤が苦になってしまった
通勤もストレスの一つでした。
地方なので車通勤は必須。でも通勤時間帯は渋滞ラッシュと被っていて毎日遅刻しないかとヒヤヒヤしていました。
冬なんかは特にひどくて、雪とか降ると二時間前には家を出ないと就業に間に合わないので遅刻になっていました。
そんな雪の日のある時、事故を起こしてしまうのです。
幸い相手方はケガもなく、むしろ何事もなく相手は走り去ってしまったので驚きましたが、とりあえず警察に行ってドライブレコーダーから相手のナンバーを特定して直接謝罪の電話をしました。
もうその時点でメンタルをかなりやられてたのですが、事故を起こしてからというもの車の運転が怖くなり通勤がより一層苦痛になってしまいました。
子供の急な休みや早退が続いて職場に迷惑がかかってしまった
当時実家とはいろいろあり疎遠状態で頼れる状況じゃなかったので、子供の急な休みや保育園からの呼び出しはすべて私が対応していました。
だったら旦那さんは? と思うかもしれませんが夫の仕事は当時早番勤務で、子供が朝起きて急に発熱したなんて時にはすでに出社後だったので、今日は代わってねとは言えませんでした。
病児保育なども育休復帰前に調べてみましたがなんせ地方在住、病児保育の数が少ない!
あったとしても勤務先から離れていたりなど利用するにはハードルが高かったです。
毎日の育児に追われていた
時短勤務だったので当然子供のお迎えも私がやっていました。
帰宅後は子供をお風呂に入れるために準備して、明日の保育園の準備して、夕食を準備してとやることが山積みでした。
一人で子供をお風呂に入れる方はみんな経験されてると思いますが、当時子供はまだ1歳になったばかりで歩けなかったので浴室の外にバウンサーを置いてそこに待機させ、私が先に洗い子供を洗うやり方をしていました。大変だしもちろんゆっくりお風呂に入る時間もなかったです。
子供の離乳食もほとんど手作りしていました。保育園の連絡帳には毎日食べたものを記入するのですが、それがレトルトの離乳食だとかわいそうと言われる気がして頑張って手作りしてました。今考えるとそんなこと言われるはずないんですけどね(笑)
夕飯の準備も大人の食事と子供用の分とで分けて作らないといけない。それぞれの作る工程を頭で考えるけど疲れている頭じゃもう考えることすらできなくてほんとにもう悪循環でした。
そんな中突然会社に行けなくなる
会社辞めたい、こんな働き方でいいのかなと思いつつ、せわしない毎日を送っていた中、突然会社に行けなくなりました。突然というよりも必然かもしれません。
三日ほど休みました。常に体に力が入らず、だるい。
それでも子供の保育園の準備もしなければならないと、ああでもやっぱ動けない、動かなきゃ、動けないを繰り返し。自分の化粧すらも億劫で、汚いですが顔すらも洗えてなかったです。
行かないと、でも会社行きたくないと心の中で葛藤して、結局休みますと会社に電話。そのあとの罪悪感に苛まれ、休んだはずなのに心は休めていませんでした。
もうどうしたらいいのか分からず、事故にあって死なないかなとか、飛び降りたら楽になれるかなとか考えていたり、キッチンに行き包丁を握りしめていたこともあります。追い詰められていて視野が狭くなっていました。
それでもなんとか3日後には会社に行けたのですが、今度は会社の駐車場の車の中から出られなくなりました。行かなきゃ行かなきゃと奮い立たせようとしましたが体が動かずに、どんどん始業時間が迫っていることに軽くパニック。過呼吸みたいになりながら職場に電話をすると、会社の保健師さんが駆けつけてくれました。
そして心療内科を受診することを勧められました。
心療内科を受診して
当時の症状はこんな感じ
身体の症状
- 体に力が入らない(体がふらふらする)
- 生理が遅れる
- 動悸
- 体が重くだるい
- 朝早くに目が覚めてしまう
- 吐き気
心の症状
- 憂鬱感
- 涙もろくなる
- 人と会話をするのが億劫(挨拶さえも)
- 死について考えてしまう
身体面での症状が特に強かったように思います。ちょっとしたスマホのアラームなどにも過敏に反応してしまって心臓がバクバクしてました。
先生から適応障害と診断された
会社から勧められた心療内科は予約が3ヶ月先になってしまうとのことで、予約なしで受診できる病院を探して受診しました。
初めて心療内科というものを受診したのですが、少し怖いイメージ←なんで(笑)があったのですが意外と普通の雰囲気だったので少し拍子抜けしました。初診は時間がかかるので診察まで2時間ほどかかったので待ち時間が結構きつかったです。
診察をしてもらい、先生からはとりあえず一カ月休みましょうと休職の診断書をもらいました。
身体症状も出ていたので服薬も開始しました。本当に仕事がとにかく嫌だったので診断を受けたときはこれで休めるんだと安堵した記憶があります。
ところで休職中の保育園はどうなるの?
子供の保育園に関しては今まで通りに通わせることができました。
通っている保育園にもよりますが、ほとんどの場合は退園することなくそのまま通わせられると思います。ただし、緊急連絡先を会社の番号でお願いしている場合もあるので、休職することは保育園に伝えるのがベストかなと思います。
休職してその後はどうなったの?
休職中の経過は浮いたり沈んだり
休職期間中の最初はほとんど横になっていました。
気が向いたら好きなことを少しだけやって、また休んでを繰り返していました。
適応障害の特徴として、ストレス因から離れると良くなることが多いそう。私の場合は仕事だったので、仕事から離れたら気分の落ち込みや憂鬱感などの症状は少し良くなりました。
適応障害はだいたい6ヶ月以内に症状が治まるといわれていますが、なかなか症状がよくならないなど見られたら、うつ病など他の病気も疑われるそうなのでそこは主治医の先生と相談して経過をよく聞くことが大事になってきます。
ただ心療内科の診察も、数分で終わりみたいなところもあるみたいです。実際に私もそうです。なのでだいたい診察の前にその日に聞きたいことをメモやまとめてから受診することが多いですね。
良くなったけどそれでも会社に行きたくない
症状が良くなったけど、それでもなかなか会社に行きたいと思えるまでに時間がかかりました。
会社を辞めるという選択肢もありましたが、家計のことを考えると二の足を踏んでいました。
休職中は傷病手当が出ていたので心配なく休めていましたが、退職するとなると収入がどうなるか分からなかったり、今の職場が子育てにある程度寛容な部分もあったのでとりあえず復職を目指しました。
会社からは医療機関のリワークプログラムを受けるように言われましたが、人見知りな部分もあったり、本当に効果があるのか分からなかったので受けませんでしたが、今となってはやればよかったと少し後悔している部分もあります。機会がある方はやってみるといいかもしれません。
現在はどうなの?
その後復職に向けての体力づくりをしたり、試し出勤を経て復職を果たすことができましたが、やはり以前と同じ職場ということもあり、なかなか難しいところがあります。
以前に比べて変わったことは、気持ちに余裕が出てきて子供にも優しくなれました。
今振り返ってみると本当に余裕がなかったんだなとしみじみ感じます。毎日の中で子供の成長や子供の気持ちを余裕を持って受け止めてあげられるようになりました。
ですが今現在、再び休職に入ってしまいました。
原因はやはり仕事。体調の波が少しあったり、4月5月の季節の変わり目も要因なのかなと思いました。
今になってリワーク受ければ良かったとほんの少しだけ後悔。あとは根本的に仕事が合わなかったり、働き方が合わないのだと今になって気づきました。←気づくの遅い
異動を考えたり、正社員からパートへ切り替えたり、退職も視野に入れて、これを機に働き方を見直そうといろいろと模索中です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。